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花に潜む妖精と 〜岐阜・花フェスタ記念公園〜

お出かけ:2004/05/15
作成:2004/06/20

 人は長い歴史の歩みの中で、様々な花と接してきたようだ。
博覧会やイベント、品評会に即売会のような期間限定モノから冠婚葬祭、また、大きな庭園、近所の公園など、花にまつわるイベントや場所が多い事は、それを証明しているようだ。
ひとまず、花を見るだけでアレルギー症状を呈し、とめどなく流れる鼻水を拭わんために多量のティッシュを浪費し、それが生活費をアッパクする人でも、花に対する憎悪の念は(恐らく)一時のモノであろう。

そんな愛すべき花を集めた花フェスタ記念公園(http://www.pref.gifu.jp/flower/)に足を運んできた。

梅雨の真ん中で、5月の風景を更新するとは、随分といい加減なモノだが、まぁ、忘れていたので仕方がない、この時期に花を見て和むことが出来て良いのではないだろうか。気にせず、ご覧頂きたい。
ほら、折りしも季節はずれの台風が上陸しようというこの時期に、この晴天、良い感じだ。
ちなみに、ここは通路の横にある斜面で、実際の順路にした従った風景はこんな様子。
皆、思い思いの写真を撮るべく、思い思いの場所に立ち止まってファインダーを覗いたり、液晶モニターを睨んだりしている。
だから、立ち止まって、このような花を撮影するのも自由。
もしくは、妙に気になった物体を被写体に選ぶのも自由だろう。
ふと、気付くのは、ある程度以上の年齢の人の撮影機材だ。
長年使い込んだと思われるカメラを慣れた手つきで扱う老人。
その撮影風景を見ているだけで、芸術作品のように感じてしまうのは気のせいか。
一方で、オバチャンなどは、いわゆるバカチョンカメラを片手にパシャパシャと撮影し回っている。芸術の香りではなく、妙な香水の香りが漂ってきたりして、それはそれで観光地の定番か。
また、真新しいカメラを構えた爺さん、婆さんも少なくない。
それも、フィルムカメラだけでなく、デジタルカメラも見かけるではないか。
これらは、おそらく通販番組で購入した物品であろう。
うちの祖母の家に行けば、テレビショッピングで紹介している品物が何故かほぼ全品、床に転がっていたりする。


花を見にきて、テレビショッピングの浸透度合いを思い知らされた気分だ


まぁ、個人消費の自由。Palmを買い漁っている人間がどうこう言える筋合いではない。
それはともかく、花ってのは、存在自体が絵になるので、素人が撮影しても絵になる。
例えば、1つの花だけをクローズアップしても、それなりの絵になる。
何か木から垂れ下がっている花にレンズを向けても、やはり絵になる。
何気に先ほどの小道を振り返ってみても、やはり絵になるのだ。
とは言え、花の写真を見せた時に「キレイね〜」と言われても、それは花のことなのか、写真のことなのかと問い返す事が出来ないのが不満かも知れない。
自己満足で十分であろうが。

さて、花にまつわる公園なので、園内には花を使ったオブジェクトなども配置してある。
何だか分からないが、花の塔だろうか。
こちらも、テーマが分からないが、花の玉だ。
個人的な嗜好からすれば、そうやって手を入れて作ったオブジェよりも、こっちの方が好きだ。
こっちは、自然の力で勝手に「玉」になっている。
人手を介することなく、玉になるなんて合理的だ。
自分で世話をして、玉のようなオブジェを作り上げるような面倒がキライだから、という消極的な理由でこちらの花のほうが好きだ、という事だろうか。
怠け者だなぁ。


はっ!視線!?



こんにちは♪

気がつけば、こんな奴が立っていた。
本人自身の存在感はあるのだが、木に寄りかかって立っている奴が、木製。保護色としか思えない。
通路の真ん中に居るのに、この希薄な存在感は何だろう。
何もせずに立っているモノだから、疲れたお父さんが、休んでいる程度にしか思えないのかもしれない。
多分、この地を訪れた人のうち、幾らかの人は、この木人に気付かないんじゃないか?
ディテール自体は、夜中に勝手に歩いているんじゃないかと思われるほどの出来なだけに、何もせずに立っているだけの希薄な存在感が、ちょっと哀れか。

そんな事ないよ!


はい?



何もせずに立っているんじゃないよ!








おお、立派に仕事をしているじゃないか、コイツは!
道案内という重要な仕事をしている木人も居るのだな。なるほど、立っている奴を、ただ立たせておくのも無駄というものか。
でも、微妙に木の陰に隠れているし、実はこの木人、メインの通路から外れたところに立っているので、あまり目立っていない。
シャイな奴に道案内をさせてどうするのか?

妖精や妖怪、モノノケから仙人に至るまで、世界中には森やら林やらに住む何か得体の知れないモノの伝説が多く存在するが、このように花の中に人に似たモノを配置するのは、人の本能なのだろうか。
ちょっと大柄な木人では、癒されるという感覚から程遠いが、こちらならどうだろう。
何となく、花の中にチョコンと座った妖精という感じ。
単なる花に比べて、これらの擬人化されたオブジェが存在するだけ、グッとイメージが変わってくる。
この辺りの小オブジェについては、知る人ぞ知るパラダイス山元氏の「マン盆栽」に通じるものがあるのだろう。
って、ちょっと違うか。
ま、おそらくは、人間ってのは寂しがりなんだろう。
懸命に花と向き合っているフリをして、その実、人間を求めているんじゃないか。
少なくとも、花を愛でていながら、モノを言わない花だけに飽き足らなくなっているフシもある。
先ほど紹介した「花の塔らしき」もの、帰り道に別の角度から見れば、こういうモノであることが発覚した。
花でありながら、鳥だし・・・
正直、後ろから見ていた時には、何のオブジェだかわからなくて不思議な思いをしていたのだが、目がついているだけで安心するのは何故だろうか。


どちらにしても、こんな可憐で、また、大胆な色彩を惜しげもなく咲かせる花。
ヘタにCGを駆使して作った映像よりも、よっぽど複雑で美しい。
そして、幸いな事に、安カメラを片手に足を運ぶだけで、絵になってしまうお得感。
ちょっと道端の自然に目を向けるだけでも、面白いものだ。
本日の好日度:★★★☆☆ 「後半、天気が悪くてレタッチに苦労」