Go!Go!お出かけ〜気が向いたら更新神様に会いに 〜伊勢市・伊勢神宮〜2008/05/04 mizuno-ami
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荘厳 そういう言葉で形容するのが適当かどうかは分らないが、高くそびえる木々に囲まれている。 そもそも、フラりと足を運んで来た時点で、単なる観光客だ。重ねてお恥ずかしい限りである。 時はゴールデンウィーク、何だか連休が重なって皆が休んでどこかに行かなきゃならない、という恐怖心を植え付けられている時期である。 どんなところでも混んでいるが、ここ、伊勢神宮とて例外ではない。 以前、足を運んだ時は、実に閑散としていて厳粛な雰囲気に包まれていた事を覚えているが、今日はさすがに駐車場がほぼ満車。 ハイヒール履きの若い女性などが、歩きづらそうに砂利を踏んで歩いている。 人様の事は言えないが、もはや「観光地」の1つと数えるべきであろうか。 まぁ、神社たるばしょ、粛々とせねばなるまい、という考えもあるが、ナザレの大工の男を小難しい顔して崇める宗教と比べれば、日本の神々の奔放さなど比べるまでもない。 神社が俗化したところで、別段、お怒りになる事もないだろう。 しかし、そんな罰当りな人間ですら、背筋を正さざるを得ないような厳粛さがここにある。 当然ながら撮影は禁止なので、レンズキャップにフタをする。 俗化し観光地化ているとは言え、日本人は礼儀正しいというか、キチンと守るべき事は守るのだなと感心する。 それにしても、スケールが違う。 そんな木々と暮らしている神なる存在にしてみれば、人の一生など一瞬のことなんだろうと思う。 風宮を詣でた時、前のグループが賽銭箱の前に居たので、それらが終わるのを鳥居のところで待ってから詣でる事にした。 見ていると、キチンと「二拝二拍手一拝」で詣でているのだが、どちらかと言えば、葬式の時、他人のやり方を真似ているようなぎこちない感じがしなくもない。 今風の服装をしている連中が、見様見真似で拍手を打っているのを見て、神も笑っておられるのではないか。 それよりも、驚いたのは、自分らが終わった後である。 別に割り込めばいくらでも賽銭くらい投げられるスペースはある。 だが、そういう事をしないのは、ある意味、日本人らしいなぁ。 悪い意味じゃなくて、良い意味で愚直な連中だとつくづく思う。 土宮の方を見ると分りやすいが、このように鳥居から賽銭箱まで少々距離がある。 多賀宮に至っては、5分以上並んでからの参拝だったが、幾グループもが「一体何を並んでいるんだ?」と列の先頭まで足を運んで様子を見た後、戻ってきて、列の最後尾につくのが当たり前というすごさがある。 地球上には、オリンピックとやらを開催するため国家・政府が音頭を取って「列に並ぼう」等とキャンペーンをしているような国もある。 さぞかし、その国を担当する神も、苦笑いしている事だろう。 まぁ、若い人たちのグループなどは、並んでいるのを見て「参拝したつもりで」とその場を後にしたりしていたが、割り込んだりしないだけマシであろう。 続いて、内宮に向かう。 筈だったのだが、何だ、この大渋滞は? 一体、いつから、日本人はこれだけ信仰に厚くなったのか? もはや、先ほど列を作って参拝していた日本人はそこに居ない。 一応、列を作りながらも、我先にと前に進もうとするヤツが目立つ。 高速道路の渋滞でも同じことが言えるが、平気な顔して割り込んだり、路肩を走っていく連中も、神の前では列を作るのだろうか? そんなことは、いくらなんでも神たる人物はお見通しだろうから、そういう連中にはロクな結果が待っていない筈である。 そういうインチキな連中を鼻で笑いながら、従順な子羊が如く、駐車場係に従って車を進める。 あちらへ行け、あちらへ行け、という指示に従って進んでいるうちに、駐車場ではないところに出てしまった。 さすがに、驚いてしまったが、今更、戻って、あの渋滞の最後尾からやり直すのも面倒だし時間もない……。 「まぁ、こんなこともあろうか」などと、内宮の方は、次回へ繰り越しという事にして、伊勢神宮界隈を後にした。 まぁ、2台ほど前の車などは、駐車場じゃない田んぼ道に出た瞬間、慌てて車を止めたが、おそらく、中で「え?え!え?」等と焦っていた事だろう。 試合に負けて、勝負にも惨敗という気分だが「いつかゆっくり遊びに来い」という天照大御神の御意と受け取り帰路につく。 「ゴールデンウィークを舐めるなよ」と、連休の神の声が聞こえんばかりの渋滞がそこに待っていた。 |
本日の好日度:★★★☆☆ 「渋滞もまた味」 |