Go!Go!お出かけ〜気が向いたら更新2007松本「縄手カエル祭」 〜松本市〜
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「仕事人は、東口に集まって下さい。」 2日間続いたカエル祭も、そろそろ、お開きのお時間が近づいてきた。 ぞろぞろと集まってくる、仕事人の皆さん。 ■「何とか天気は持ちましたなぁ」「良かった良かった」 しかし、集まってみれば、こんなに多くのスタッフが居たのかと思ったりもする。 とりあえず、皆が揃うまで、ついでに体操を始めてしまう一同。 単なる気まぐれか、いや、これは「整理体操」というものか。 ■「1・2・さん、し、5、6、七、はち」 泳いだ後の整理体操、そんなモノがあったね。 でも、もちろん、彼らが今から川で泳ぐ訳でも、また、泳いできた訳でもない。 ■「はい、では、終わりの儀式をはじめます。アレを…」 ■「今日は、私のために、集まってくれて、ありがとう〜」 ■「というのは、おいといて!」 ■「皆さん、お疲れ様でした!」「お疲れ様でした〜!」 2日間、疲れているだろうが、その表情に疲れはあまり見られない。 さすがに若い。まだまだ、肉体労働OKといったところか。 ■「じゃ、カエル祭に来て下さった、皆様に・・・」 ■「みなさん、ありがとうございました〜!」 それでも夕方を迎え、少しずつ辺りが暗くなるナワテ通りに、元気な声が響く。 ■「はい、2日間、いっぱい楽しかった人、手を挙げて」 ■「はい」「はい」「へーい」、若いとノリが良いなぁ。 あった! ■「さぁ、殿、こちらでございます。」「誰が殿じゃいっ! 」 今年もキチンと用意されていた。 ■「少し痛いが、我慢せい、これクリクリ」「ぎゃあ、目が目が〜」 って、昨年も、ナワテのホリエモン氏が、唐突にペンを入れ始めた事を思い出したが、今年も、唐突に目を入れ始める。 これが何だか偉そうなオッサン達の会合なら、ペンを持つ前に挨拶を30分、続いて、もったいつけて、ペンを持ったまま講釈の10や20を30分ほど延々と話した揚句、いざ目を入れようとすると、ペンが乾いて使えなかったりするが、やはり、若い人は形式よりも実を取るものなのだろうか。 ■「こちら、無事に目が入りました!」「目にインクが染みて痛いの〜(涙目)」 本当にお疲れ様です。 思えば、今年のカエル祭が、開催されるのかどうかもハッキリしないまま春をむかえたと思ったら、若干、日付が変わって急遽、開催といったバタバタした印象。 一体、どうなる事かと心配していたが、フタを開けてみれば、例年どおりの日程だったら、2日とも豪雨で終わってしまったであろう運のよさ。 モノノケの仕業か、神様のイタズラか、多少の雨が降ったものの、無事2日間を終えることが出来た。 また、毎年、どんどん筆が遅くなって申し訳ないレポートだが、1ヶ月かけて書いても、写真を見るだけで、当日、どういう事があったのか頭に鮮明に浮かぶなど、やっぱり、カエル祭はスゲェと思う。 2日目のレポートなどは、実質、東へ西へと往復しているだけの流浪人モードだが、通るたびに、新しい発見があって、とても充実した散策だったろう。毎年書いていて、新しいネタが出てくる事に驚かされてしまう。 今年も、無事に参加できたことに感謝すると共に、毎年、ヒートアップする参加形態、今年はついに小さな店まで出してしまう始末だ。 来年は、いよいよ日中にお店を出すか?と野望を抱きつつ、この人の存在なくてはこのレポートの完成はなかったであろう、我らが販売員こと撮影団助手に言葉を借りてお礼申し上たい。 ■「どこ見てんのよーっ!」そんな芸人さんが居ましたね。 人を集めたりするには、四柱神社前の中央受付辺りが適当なのに、今年は東口。 その理由は、どうやらコレらしい。 ■「はい、礼」「お疲れ様でした〜」の後ろのあいつ達に注目 どうやら、彼らを元の位置に戻すべく、ここに集められたというのが理由っぽいような。 なかなか、実用的だ。 しかし、こんな大きなものがナワテ通りを移動して行く姿も、そうそう見られるものではない。 観察していると、意外とスムーズに移動できるようだが、ナワテ通りの幅と「車幅」の関係で、それなりに慎重に移動しなければならない。 ■ガマ侍とお店シリーズ、その1:越中屋 ■ガマ侍とお店シリーズ、その2:じゅげむ ■ガマ侍とお店シリーズ、その3:ふるさと 誰も「シェーン、カムバック!」とは叫んでいないが、そもそも、古すぎで、通じる世代が高すぎるネタじゃないか。 ■そして、地平線の彼方へ…ってほど、ナワテ通りは広くないから 偶然、舞踏の本木さんらとお話でき、とても深い時間を過ごすことが出来た。 ■今更ながら、カエラーナイトの缶バッジ。可愛いでしょ? ただ騒ぐだけじゃなくて、カエルと環境の事も学んだ、とても意義あるイベントだったろう。 高い死亡率で周囲のカエルを絶滅に追い込む、恐ろしいカエルツボカビ症。 しかし、本当に恐ろしいのはツボカビの感染力ではなく、それを扱う人間の行動という、悲しいやら恥ずかしいお話だった。
たかがカエル、されどカエル。 我々は、人間中心の環境問題を考えるより、自然の中に立つ1つの生物として環境問題を見つめなければならない。 エコかエゴか。その選択で、未来が変わる。 ■「めとばタン」、来年は「萌え」も来るのか? mizuno-ami.2007. - Special Thanks for Ohyoi3 -
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