2021年08月07日 記事
終戦を終わらせたくない人々

2021年08月07日(土)

●昨日は広島、原爆の日。今年も平和記念式典が開催された。悲惨な戦争を、原爆体験を、という声は分かるが、年々、疑問が強くなってきた。気になる言い方の1つが「被爆者の方々の高齢化を危惧している」という点。要は、体験を語る人が減ってきて困っている、という話だそうだが、正直、バカバカしい。この事は、原爆という悲惨な体験をした人々が、新たに発生していないことになるわけで、「あの悲劇を二度と繰り返さない」が守られてるからではないのか?被爆が認められた人が亡くなると『原爆死没者名簿』に名前が追加されるそうだが、ここに新しく、若い人の名前が追加されないことは、すなわち平和であろうに。仮に、その名簿が交通死亡事故者名簿であれば、いまだ、増え続けているじゃないか。よもや、被爆した我々のほうが大変であり、そこらで身近に起きている交通事故なんて大したことない、などと思っているとは思えないが、実際の体験者が没した時点で、歴史の1ページとして記し、恒久的に続けるものじゃないと思うが如何か。最近は若い人が『語り部』のボランティアをやりたがらないからと、カネを出してバイトとして雇うようになってきているというが、ボランティアとして参加してまで、他人に不幸というか、「ぼく、こんなに大変だったんだよ」という古臭い話を、語り継ぐ人がないという話じゃないのか?●同じような『語り部』として、東日本大震災の記憶も引き継いでいるというが、その気持は十分に分かるにせよ、結局は『個人の経験』であり、「生きてきた証」を残したいとか言っている人もあるようだが、交通事故で亡くなった方なんて、証もクソもなく帰らぬ人となっている。もちろん、ああいった『語り』がガス抜きとなり、少しでも重い気持ちを和らげる働きがあるのが分かるので、無下に反対はしないが、それを引き継いでまでガスを抜き続ける必要もなかろうに。今年の8月、五輪開催の特別措置として、11日の『山の日』を、閉会式に合わせた9日に移動させようとしたところ、「長崎の原爆の日に祝日をもってくるなどケシカラン」という話で、8日の日曜日に移動させて9日を振替休日にするという苦し紛れの方法が採られたようだが、いつまで、こういうこと言い続けるんだろうね。結局、大規模なカワイソウは特権なんだろうね。交通事故『なんか』で死んだ人なんて、毎年、いくらでも出てくるから、特別じゃないんだという考えなのだろう。いつになったら、終戦を終わらせられるのか。★☆★
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