2021年07月06日 記事
顔の見えない加害者たち

2021年07月06日(火)

●熱海で起きた大規模土石流。盛り土だの、メガソーラーだのの情報が流れている。共同通信の取材記事には、2007年に盛り土をした不動産管理会社の『元幹部』が「熱海市に届け出て盛り土をした。豪雨はこれまでもあったが、崩れなかった」とコメントした旨が載っていた。中途半端なコメントだが、この部分だけを切り取り、多くの人が「これまで崩れなかったかどうか、関係ないわ」的な方向に誘導するには十分な記事と言えようか。確かに、その認識は甘いと言えるが、それで許可が降りているのだから、不動産管理会社だけを責めるには無理がある。一方でメガソーラーについては、あちらこちらの山林を切り崩して並べられた太陽光パネルの現状を、多くの人が知っているので、細かい説明は必要ないが、災害に弱そうだ、という見た目の不安と、元々、民主党政権化で推奨されたという情報がバイアスとなり、より懐疑的な存在と思う人も多かろう。しかし、こちらも依頼に基づき、法に基づいて、自分らの仕事をしただけのこと。こうなると、法律に問題があるんじゃないか、という話になるが、その法律も完全に悪いわけじゃなく、その一部の例外的事象で事故になっただけのこと。これで法律に全責任を被せるには無理があろう。●こうして考えると、事故の原因を作った、あえて加害者と呼称するが、加害者らには加害的行動の自覚はない。自覚はないが、少しずつ、それらが重なって、結果的に、大雨で崩れる危険性の高い盛り土の土地が出来上がっただけ、ここに、偶然、大雨が降って崩れただけ。責任の所在ははっきりしないし、そもそも、加害者らに責任者としての自覚がないのも仕方のないこと。加害者が原因を分散することで起きる事故や事件は、それを実証するのが難しいが、逆に言えば、こういう『図式』を作ってしまえば、加害者の立場、いや、儲かる側の立場に居座ることで、少ないリスクで利益を得る立場を築くことが出来る。巨悪系のサスペンスなどには、自分の手を汚さずに人殺しをする卑怯なヤツが登場することがあるが、手を汚す側も、その自覚がなく大きな事故に発展するところが、この手の図式の怖いところ。さらに怖いのは、それが当たり前になっていることだろうか。●小学校のセンセイが、しきりに使っていた『連帯責任』という叱り方。その実、責任の所在が曖昧だから、みんなで反省して手打ちにしておきましょう、的な、ある意味、乱暴な解決方法だが、誰かに責任があろうが、みなで反省しようが、そこに発生した被害者は置き去りのままというのが胸糞悪い。そして、連帯責任構造は、社会にも普通に定着している。★☆★
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